箱根八里
2026.09.01
箱根八里
2020年のコロナ禍以降は、宿泊を伴う旅行に出かけていなかった。久しぶりに箱根へ小旅行をした。旅行の出発前に、旅行先の下調べをするのはいつものことだが、今回は何度も行っている所なので何もしなかった。旅行という言葉を使うのも違和感があるほど、箱根は日帰りが可能で身近な存在である。かつては自家用車を利用したものだが、高速道路と山道での運転を心配し、公共交通機関を活用することにした。かくして、家族三人による一泊二日の家族旅行と相成った。
東海道線で小田原駅に到着すると、駅構内の巨大な提灯が目に入る。箱根登山鉄道に乗り換え箱根湯本駅へ。そして強羅駅にて下車し、当日の宿泊ホテルに到着した。この辺りは、かつての別荘地であり、その後は企業の保養所、ホテルなどに変容していった。荷物を部屋に持ち込み、近所の強羅公園までは徒歩で行き、ここで軽く昼食を取る。
強羅公園自体は洋風の造りであるが、三井財閥の代表としても、茶人の数寄者としても有名な鈍翁こと益田孝のつくった茶室がここにはある。益田孝は強羅の別荘地開発を推進した人物の一人として知られる。白崎秀雄が書いた益田孝の評伝を読んだことがあったが、もう半世紀も昔のことになる。今回訪問した時は、時節柄バラ園の花を楽しむことができた。季節によって楽しみが変わるのもなかなか良い。公園までの坂道の勾配が気になるほど足腰が弱っているのを痛感した。もっと体力をつけようと、反省しきりであった。
公園下駅からは、箱根登山ケーブルカーに乗車、電車が混んでいたことはもちろんだが、報道にもある通り外国人客が多かった。車よりも、満員電車の方が人の数も多く、より旅の実感がわく。早雲山駅からは箱根ロープウェイに乗り換える。ロープウェイからの眺めは魅力的だったが、スリル感もある。大涌谷駅でロープウェイから下車し、火口跡を少しだけ見学。もう随分前のことになるが、アメリカからの客人と、硫黄泉で茹でた名物の黒玉子を一緒に食べ、一個食べると7年長生きする、とたわいもなく言い合ったことなどを楽しく思い出した。この知人Wさんも数年前に亡くなられた。
この日は風が少し強かった。風がある強さ以上になるとロープウェイの運行が中止になる恐れあり、との話を小耳にはさみ、早々に元来た道を引き返して、ホテルに帰館することにした。
今回の小旅行から得たことの感想は、次の事柄だった。
・登山電車、ケーブルカー、ロープウェイ、タクシー、観光船、バスなど多様な交通機関を
利用した。その結果、タクシー運転手との会話、人々の賑わいなど、車利用とは異なる情報が得られた。
・土産店などの土産品を見ると、自宅で毎日の暮らしに用いていることに気づく。例えば、お茶を運ぶお盆、PC用のマウスパッド、木箱や栞などは畑宿の寄木細工である。外国人みやげとして、寄木細工つくりの手箱をプレゼントしたこともこれまでに何回かあった。
・いつもだと旅行には、事前事後を含めて、調査の作業が伴う。今回は家族旅行であり、介護活動が一段落したことのご苦労様会だったので、調査部分は無しにした。ホテルに外泊し、温泉につかり、うまいものを食べ、そして見たいものを見ることができた。慰労の目的は充分に達成できたと思う。
・私たち家族のご先祖は、幕末から明治にかけて、江戸時代は幕臣として、そして明治維新後は司法書士的な仕事をした人物だったので、箱根関所の存在も以前とは異なる意味合いをもってきた。この先祖は、今から161年前の1865(慶應元)年に、当時の江戸から大坂までの道中(将軍徳川家茂のご進発)を、幕府御用で50人ほどの部下を引率した経緯がある。このような事情や背景の知識があったので、箱根関所資料館の展示物も益々興味深くなってきた。
最終の訪問先である芦ノ湖の遊覧船に乗り、観光客気分を満喫しカフェで一休み。湖畔からはバスにて箱根湯本駅に向かう。駅前の土産店などをのぞきながら旅行気分を味わいつつ、次回までには足腰を鍛えるぞ、と気分を高め帰路についた。
(金安岩男 慶應義塾大学名誉教授