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アディショナルタイム

四年に一度開催されるサッカーのワールドカップ大会が6月に開幕した。アメリカ、カナダ、メキシコの各都市で開催されているが、世界最高級の戦いは人々の興奮を呼び、世界中が盛り上がっている。にわかサッカーファンは何を感じたのだろうか。

この原稿を執筆中に、日本は一次リーグ(48チームの参加)をグループ2位で乗り切り、決勝トーナメント(32チームで競う)に進むことが決まった。決勝トーナメントの初戦で対決するのはブラジル。日本チームは優勝を狙うことを標榜しているので、優勝候補の一つである強敵ブラジルは、対戦相手としていつかは突破しなければいけないチームである。

かつての日本ならば、善戦はするものの、得点能力に欠け、観客のため息のみが残ることが多かった。ところが、今回テレビ観戦で目に入ってくる光景は今までとは少し違う。

まず選手の側面がある。日本選手は他国の選手と比べて、その平均身長こそ5cm位低いようであるが、体力負けしていない。スーパースターのメッシのように低身長でも世界一流の選手がいるので、身長差は優劣の言い訳にはならない。身体の鍛え方や栄養管理などが進歩した賜物なのだろうか。

戦略もシステマティックである。過去の戦いから得られたデータを活用するシステムが発達している。その上で、臨機応変な適応力を発揮している。この種の内容は、専門家による解説が役立つ。根性論は遠い昔の話になっているようだ。

チームのメンバーに選ばれた選手は、ほとんどが海外のチームの一員として活躍しており、選手層が厚い。そこで得られた技術や経験知を生かすことができる。日常的にワールドカップ大会をやっているようなものである。しかも、有名選手が同僚のこともあれば、敵側チームのこともある。さらには、かつてワールドカップ参加経験者の先輩たちがコーチ役で参加し指導している。ロッカールームの整理整頓にみられるように、技術ばかりか、精神面での支えにもなっている。

観客の側面としては、観客の応援ぶりも板についているが、観客のスタンド周辺のゴミ収集などは日本的な知恵であり、世界の良き模範になっている。観客として楽しむ文化も、世界共通の文化になりつつある。事細かなメディア報道、SNSの発信などが豊富で楽しめる。

ここで触れておきたいことは、表題にした「アディショナルタイム」のことである。通常のサッカーの試合は、前後半45分ずつの合計90分からなる。選手交代やけがの治療など、競技時間外で要した時間は計測しないので、追加時間が前半と後半のそれぞれに設けられている。昔はロスタイムと呼んでいたが、近年では「アディショナルタイム」で統一されている。

この追加的な数分が勝負の行方を決する大切な時間になることが、しばしばである。有名なのは、「ドーハの悲劇」である。ワ-ルドカップ大会のアジア予選の最終戦(1993年にカタールの首都ドーハで開催)で、アディショナルタイム中にイラクに同点とされて、日本は初のワールドカップ出場権を逃したのである。残り数分どころか、数秒の話だった。数秒や数ミリの差が勝敗を決することがあるのは、サッカーを含めたスポーツの持つ魅力である。

試合をリードしているチームは、早く進めたいだろうし、負けているチームは、早く追い上げて点差を詰めておきたいところである。選手が疲れている時間帯におけるプレーの流れがどちらのチームに行くかは、神のみぞ知る。

「人生のアディショナルタイム」も、サッカーの場合を参考に考えてみるのも一法である。人生の終了間際の比較的短い期間に、病気などの困難さを乗り越え、人生の仕上げをし、有終の美を飾る。こればかりはホイッスルの音が聞こえるかどうか不明だが、実によく似ていると思った。ワールドカップ大会の楽しみは、これからも続く。

(金安岩男 慶應義塾大学名誉教授)