大野とは

ヘアサロン大野グループとは

V・I・P 御用達理容室

~V・I・Pに選ばれ続ける理由~

ヘアサロン大野グループは東京・大阪・そして海外に合計13店舗を構えております。 V・I・Pのお客様、あるいは目指されるお客様が何を求められるのか?より印象力を高めビジネスシーンやプライベートシーンでより相手の心に訴える、残る印象力。あるいはこれから訪れる挙式や商談、パーティーなどのそれぞれのシーンに合わせた印象力、あるいはお会いする相手の年齢や立場に合わせた印象力。そしてお客様自身が目指すお客様の印象力。一般的な理容室、美容室とは異なり、単に髪の毛の長さを切るのではなく、医師と同じ国家資格である理容業というサービスを通じ、お客様お一人お一人に合わせた最高のDESIGNをお創りすることがV・I・Pの方々に約90年に渡り愛される所以でございます。

~深いカウンセリング力が根源~

今では広く広がりつつある「個室」施術もヘアサロン大野グループでは、はるか昔からより「個室施術」をご用意しておりました。しかしながら、一般的な理容室、美容室が「高級感」を演出するための「個室」に対し、大野グループが「個室」施術にこだわる一番の理由は、「より質の高いカウンセリング」を実現するため。

ヘアスタイルの相談をする際に大野グループでは可能な限りお客様の様々なライフステージをお伺いします。そのため隣に他のお客様に聞こえてしまうオープンブースよりも、お客様お一人だけのプライベートブースの方が、より深いカウンセリングが実現できます。

こだわりの空間、上質な椅子、癒しのBGM、洗練された香り。

「五感」に語りかけ、ベストマッチングのための「個室」施術こそ、多くのお客様が笑顔で帰られ、また大野へ足を運び続けるサービスの根源でございます。

~床屋ではなく理容室であるからこそ~

人の印象というのは、点ではなく、全体像として相手の印象に残ります。そのため髪だけ整っているだけでは、V・I・Pが集う場では存在感を残せません。

「床屋」と「理容室」との違いはそのルーツにあります。

丁髷を結う「髪結床=床屋」の文化という「床屋」に対し西洋理髪がルーツである「理容室」は、高貴な方々が社交的な場に出る際に、髪はもちろん、顔や爪も奇麗にするという文化でありました。まさに現代社会の成功者に求められるトータルグルーミングの文化であるヘアサロン大野グループでは、ヘアスタイルだけではなく、お顔やお爪、眉、髭、靴(一部店舗のみ)などトータルにわたるグルーミングデザインをお創りいたします。

~トラディショナル&モダーン~

V・I・Pの方々は非常に感性も豊かでおられる中で、さまざまな時代に合わせたユーズを求められます。デザイン性はもちろんのこと、メンズのお顔磨きが流行る際には、業界でも随一に最先端のフェイシャルエステ機器や新たなバリエーションコスメの導入とメニュー開発を行いました。ヘッドスパの癒しが話題となった際には、ヘッドスパ専用の個室ブースやヘッドスパ機器、コスメの導入を行いました。

V・I・Pの方々に喜んでいただきたいための率先した行動でございますが、ヘアサロン大野グループとして本店を日本橋に構え続ける想いがございます。五街道の拠点であるこのの本橋という地は大野グループ発足の由来でもある地であります。この日本橋を拠点に五街道を通じ、さらに各地の道を通り全国各地へ様々な物資や文化が流れていきます。我々は今後も日本の注してあるこの地から、理容業界の最先端であるメソッドを全国各地へ広め続け、今後も業界の先陣を旗振る存在でい続けるという想いであります。

「ヘアサロン大野」の歴史

ヘアサロン大野グループは、日本橋生まれの創業者大野孝次郎が、篠原定吉氏が経営する平床にて修行を始めたことに端を発しております。

~大野のルーツ 篠原定吉~

時は文明開化、西洋の文化が黒船に乗って、横浜の地へ入ってきました。

当時の日本は丁髷を結う「髪結床=床屋」の文化という時代の中、西洋理髪とは、髪はもちろん、顔や爪も奇麗にするという、まさに現代社会の成功者が気を遣うトータルグルーミングの文化でした。

日本剃刀を片手に黒船へ乗り込み、この西洋理髪の文化を学び、そして日本全国へこの西洋理髪を広げた「大日本美髪会」。断髪令が発布されるとこれまでの丁髷スタイルが禁止され男子は西洋の風俗に強制的に変えられたが、実際の所、髪型の転換には多くの時間を費やす事となった。

その原因の中には武士や商人などの抵抗もあったが、実は日本人の硬い髪を切る為の技術や道具、特に西洋ばさみや櫛などの普及が進まなかった事も起因している。

本格的な西洋理髪の技術を有する美髪店を利用できるのは貴族や大店の旦那などの一部の紳士に限られていた。時代の転換期に西洋理髪の技術や道具の伝播に大日本美髪会の果たした役割は大きかった。尚この頃は調髪の事を美髪と称していた。

この「大日本美髪会」の中心人物であったのが篠原定吉氏であります。

篠原氏のお店は平床(篠原理髪店)と呼ばれ、明治末の東京で普通のお店が十銭から十五銭という時代に料金が一円という超一流の店であった。その技術と格式は日本橋の芳町にあって東京の下町の代表格とされ、山の手の大場と並んで双璧といわれた。

お得意様は場所柄、大店の旦那様や兜町、穀物取引所などで相場に関わる方々、付近の芝居小屋など遊興施設から粋筋から芸能界、相撲界にまで及んでいた。

この店からは銀座の米倉近、田村町の海津正、日本橋の大野孝次郎など日本の近代理容教育史に大きな足跡を残した人物が育っている。

尚、米倉 近、海津 正は大野孝次郎の兄弟子にあたる。

~大野のルーツ 大野孝次郎~

創業:昭和9年(1934年)
創業者:大野 孝次郎

【大野孝次郎の略歴】
明治45年4月5日生まれ
昭和61年4月23日没

・篠原定吉氏に師事 近代理髪を学ぶ
・大野理髪店(現在のヘアサロン大野グループ)を昭和9年に創業
「カガミ」など理容機関誌に執筆多数 「髪無量」を出版
・全理連ニューヘア 設定開始 初代チィーフ
・全理連中央講師幹事長を歴任
学校法人全国理容中央学園 中央理容専門学校講師
兄弟子に米倉 近氏がいる

■永年審査員表彰
■厚生大臣表彰受章
■没後厚生大臣特別表彰を受章

~社史~

昭和 9 年(1934年)創業者大野孝次郎が東京大田区馬込に開業。
その後美容院開設。
昭和23年(1948年)日本橋本町に総席数6台の本店開設。
昭和30年(1955年)大野孝次郎の自宅前に蒲田店開設。
昭和38年(1963年)株式会社大野孝を設立。 大阪堂島店開設。(現・古河ビルから近鉄堂島ビルに移転)
昭和45年(1970年)静岡店開設。(今は西武百貨店は撤退)
現在グループ代表の大野悦司が22歳で支店長として赴任し、有限会社オオノを設立、代表取締役に就任。
昭和54年(1979年)都ホテル東京店開設。 大野允子が有限会社オオノ代表取締役となる。
昭和55年(1980年)伊藤忠商事の運営するシーアイプラザに青山店開設。 株式会社オーエヌオーを設立、代表取締役に大野悦司が就任。
昭和61年(1986年)大阪ヒルトンホテル店開設。 大阪地区の株式会社大野を設立。
平成元年(1989年)  堂島店を近鉄堂島店(現・iki堂島店)に移転、堂島快眠倶楽部店となる。
(現在はiki堂島店とヘアエンジェル店&ほっこり部屋)
平成 5 年(1993年)美・ロード店開設。 (堂島ホテル内。現在は堂島ホテルが廃業)
平成 6 年(1994年)堂島ホテル店開設。 (現・堂島ホテルの倒産と共に撤退)
平成 7 年(1995年)帝国ホテル大阪店開設。
平成17年(2005年)東京・日本橋本店の上階に艶出専科本店開設。
平成20年(2008年)大阪うめだ阪急百貨店メンズ館にプラスメンズ店開設。
平成21年(2009年)艶出専科本店移転、iki日本橋本店開設。(旧日本橋本店)
平成22年(2010年)iki堂島店新装開店。(旧堂島店)
平成23年(2011年)赤坂ニューオータニ ザ・メイン店、ガーデンタワー店開設。
平成27年(2015年)ベトナム ハノイV-Tower店開設。
平成30年(2018年)BARBERING METHOD 移転OPEN。
令和元年(2019年)ベトナム ハノイに2号店「Barber’S」開設。 大阪に ニューオータニ大阪店 開設。
令和3年(2021年)ニューオータニガーデンタワー店をニューオータニ ザ・メイン店へ統合。
令和3年(2021年) Barbier移転OPEN。

ご挨拶

ヘアサロン大野グループ代表
大野悦司

まもなく創業90周年、そして100周年を迎えるヘアサロン大野グループは、自分を大切にしたいお客様へ、進化し続ける様々な理容業のメソッドを使い、100年先まで奇麗でいるために寄り添える存在を目指すとともに。文明開化の時代から今でも続く、理容業発展のパイオニアとして、より一層の理容業界の価値錬磨に努めて参ります。

床屋と理容店の違いはみなさんご存知でしょうか?私はスタッフや知り合いの人が大野グループのことを、床屋と表現すると熱く語らせていただいております。ヘアサロン大野グループは西洋理髪をルーツとする理容店でございます。時は明治初期、文明開化により西洋のさまざまな文化が日本へ入って参りました。このうちの一つが西洋理髪でした。西洋理髪とは単に髪を切るだけではなく、美顔術や美爪術と合わせたモノであり、高貴な方々が公の場に出る際に、髪や顔や爪などトータルの身嗜みを整えるというモノでした。

明治4年に断髪令により、月代(俗にいうちょんまげ)のスタイルから、ザンギリ頭へ変わる時代。実はなかなか全国的に広まることが難しい状況でした。国民の思想を変化させるのに時間がかかったのと、もうひとつの大きな理由にザンギリ頭にカットする技法や道具でした。
この際に全国各地へ西洋理髪の文化を広める運動をおこなったのが大日本美髪会の中心的人物であり、大野グループ創業者の師でございます、篠原定吉先生でした。時間をかけて切り方や道具の流通などを行い、日本全国へ現在のヘアカットの基本となる文化を広めて参りました。
また理髪師の育成にあたり、全国理容中央学園・中央理容専門学校の歴代校長や全理連中央講師会幹事長として、篠原一門であり、理容御三家と言われている米倉近、海津正、そして大野グループ創業者である大野孝次郎の三人は理容教育を通じて近代理容教育に携わっておりました。

 髪を切ることが目的ではなく、その場にその人に相応しい身嗜みを整えるという西洋理髪がルーツであり、また今までの先駆者が日本全国へこの理容文化を広めてきたという誇りを忘れずに。日本の道路は日本橋を起点に、五街道という冠動脈、そして毛細血管のごとく各地へ広まっております。大野グループが本店を日本橋に店を構え続けるというのは、今後も我々が日本の理容業界をけん引していくという決意でもあります。

会社概要

<概要>

社名代表取締役
株式会社 大野孝大野悦司手塚英之
株式会社 大野大野悦司、塩山雄三
有限会社 ボンプラン大野悦司
株式会社 大野グローバルワークス大野悦司手塚英之

<事業内容

理容店: 国内 10店舗、海外 2店舗
従業員: 80名
優良施設として、東京都知事賞・大阪府知事賞を度々受賞

<理容界のおける実績

  • ・ 全国理容競技大会準優勝
  • ・ 関東甲信越理容競技大会優勝
  • ・ 東京都理容競技大会入賞
  • ・ 理容師の主張全国大会優勝 準優勝
  • ・ 全理連業界振興論文優秀賞
  • ・ 理容師の主張全国大会三位入賞
  • ・ 全理連業界振興論文奨励賞
  • ・ 第50回から全国理容競技大会監視委員長

<ヘアサロン大野グループ

東京

艶出専科本店
iki日本橋本店
BARBERING METHOD
Barbier
ホテルニューオータニ ザ・メイン店

大阪

大阪ヒルトンホテル店
iki堂島店
帝国ホテル大阪店
BARBERING METHOD PLUS
ホテルニューオータニ大阪店

海外

V-Tower店(ベトナム・ハノイ)
Barber’S(ベトナム・ハノイ)