ブラヴォー!!!

長友佑都選手といえば、日本サッカーチームを代表するサイドバックであり、一時期イタリアの一流チームで活躍したことがある。彼の常套句は、「ブラヴォー!!!」である。すばらしいことを成し遂げたことを称してのイタリア語であり、「ブラヴォー」は、クラシック音楽のコンサート終了後の喝采の掛け声としても有名である。
彼によれば、この常套句は「選手の気持ちを集約して」とのことである。ヨーロッパで活躍した長友選手らしいことばの選択だった。日本の野球界では、「絶好調!」とか「最高!」とかの短い単語を決め台詞にする日本人選手も過去にいた。また日本の古典演劇の一つである歌舞伎では、大向こうから、「〇〇屋!!!」と声がかかる。
へそ曲がりな発言の多かった落語家立川談志は、落語の特色を「イリュージョン」と言っていた。私にその真意はよく分からないが、落語とは「落語の作法にもとづき、ないことをあるかのごとく見せる圧倒的な表現」、ということを言いたいのだろうか?
ある落語会で談志が落語を一席やっている時に、客席の携帯電話が鳴った。落語の最中だから飛んでもないことが起きてしまったのだが、談志は気の利いた台詞をはいた。
「お前さん、電話だよ」
舌鋒鋭い談志は、学問についても面白い発言をしている。
「学問は貧乏人の暇つぶし」
少しばかり私が知っている世界なので、解説してみる。私の知る所の何世代か上の先輩教授方は、教え子が学者志望だと知ると、経済力のことをまず心配した。学者として一人前になるのに年数がかかり、しかも資料代、試験材料、設備など、うまく研究費が獲得できれば良いが、そうでない場合は、経済的な負担がかかる。国内外の調査旅行や学会出張旅費代もばかにならない。世界が相手となると、暇つぶしなんて言ってはいられない。誰が先に成果を出すか、競争も激しい。
時間をはじめとして資源を効率よく活用して成果を上げられればそれに越したことはない。ところが、例外があるのかもしれないが、多くの場合は、学問をするためには、時間も費用も沢山かかる。研究の巨大化は、装置型研究の登場とも連動する。国からの予算が付けば活動できるが、研究費が獲得できなければ、机上のプランで終わってしまうこともある。
学問は、知識の蓄積、知識生成方法の開発、新しい知識の創造を通じて、人類の発展に寄与することを目指している。学問には、資金、時間、装置、人材等々の資源も必要となる。なにやら落語の世界も同じような状況にあるように思えてきた。落語家対しての「いよっ、待ってました!」の掛け声から始まり、演じた後で大きな「拍手」で終わるのが、ブラヴォーに相当する喝采と考えればよいのかもしれない。
(金安岩男 慶應義塾大学名誉教授)