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新旧一万円札対決

定年退職後は、日曜日の朝にNHK・Eテレの将棋番組を視聴するようになった。司会進行は、お笑い芸人で将棋好きの高橋茂雄と、女流棋士の山口恵梨子三段のお二人である。軽妙な進行ぶりで楽しめる内容だ。8月に放映された番組では、日本の近代化に多大な貢献をした教育家・啓蒙家の福澤諭吉と実業家の渋沢栄一の二人の偉人と将棋との関係を取り上げていた。題して、「新旧一万円札対決」。面白い話題だったので、ここにご紹介する。

福澤諭吉は1835年生まれで、趣味は将棋とのことで、生前使用していた将棋盤と将棋駒が今でも慶應義塾に残っている。多くの門下生や近所のそば屋の主人など、勝負相手に不足はない。とくに棋士の小野五平12世名人を自宅に招き、週に二度ほど手合わせしていたとのことで、腕前も筋金入りである。

番組ゲストの堀口弘治八段によれば、棋士の指導を仰ぐことにより、福澤は将棋界にとってパトロン的な役回りを果たしてくれたのではないかとのこと。そして、福澤が創業した新聞『時事新報』には将棋欄があり、小野五平監修による「詰将棋」も掲載されていた。今日でも、日本将棋連盟と新聞社が主催している将棋のタイトル戦は多く、その関係は深い。

一方の渋沢栄一は1840年生まれで、「俺は将棋が強かった」と豪語していたが、将棋界の名門大橋家の大橋宗桂と勝負したこともあったので、こちらも負けていない。福澤の棋力は、福澤が門下生と勝負した棋譜が残っており、推測できる。堀口八段によれば、アマチュア初段程度という見立てである。棋譜という記録が残っていることは、将棋の内容と指し手の実力を知る上で役に立つ。

さていよいよ、福澤と渋沢の対決である。渋沢の談論をもとにした文章(渋沢栄一『雨夜譚会談話筆記』)の中に、実際に将棋を指したことが記載されていた。大隈重信の邸宅に、大隈、福澤、渋沢、そして岩崎弥太郎の四人が集まったことがある。おそらくは、損害保険会社の立ち上げ話が目的で集まったのではないか、それは明治11年頃の出来事だったらしい、とは堀口八段による推測である。

勝負の結果は、渋沢の勝ち、福澤の負けだった。渋沢によると、二人は次のように言い合っている。
渋沢「・・・福澤諭吉氏は強かった、一度大隈さんの処でやったら、私が勝って・・・」
福澤「渋沢君は変な人だ。将棋なんか強いとは思わなかった。どこかで稽古でもしたのか。自分は強いつもりでいたのだが・・・」

福澤曰く「商売人にしては割合強い」と負け惜しみも、そして渋沢は「へぼ学者にしては、強い」と応酬したとか。かくして、二人は日本の近代化のリーダーとして大活躍し、時代をつくった偉人と位置づけられた。

(金安岩男 慶應義塾大学名誉教授)