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お見舞い

今年の夏も暑い日が続いた。全国的に35度を超える熱暑日が日常になり、暑中お見舞い申し上げますという表現が吹き飛んでしまう勢いである。一体いつまで暑い夏が続くのやら。今回は「お見舞い」について感じることをいくつかお伝えしたいと思う。

何らかの不幸や災いがあり、不安な状況にある人に対して、訪れて見舞い、何か一緒に食べて力をつけてあげようとすることから、お見舞いという状況が発生し、日本の文化様式になったようである。お見舞いの気持ちを見える形にする方法として、見舞いの言葉や見舞いの金品などがある。お見舞いをする側、お見舞いされる側、それぞれの立場からの感想があることだろう。

随分過去のことになるが、私は足を怪我し手術が必要となり、入院したことがある。その際に、病院までわざわざお見舞いに見えた同僚などが何人かいらした。お見舞いそのものは大変ありがたいことであったが、手術をした箇所が、麻酔が切れた後では大変な痛みになっていた。ベッドで対応したが、冷や汗がこんなにもきついものと初めて知ったのがこの時だった。

お見舞いをするのもされるも結構大変だな、というのがその時の感想だった。こんな話を聞いたこともある。ある男性の奥様が入院をされた。その男性と強い関係のある組織が、お見舞いの花を届けた。ところが、送った花がお見舞いどころか、お祝い品のごとき華やかさだったという。当該の男性は、こんなに大変な時に何事か、と大いに憤慨した。その時の状況にふさわしい花を届けるべきであったことは言うまでもない。見舞いの気持ちと見舞い品とががうまい形にならなかった例である。

企業の場合でいえば、業務上の過失等により、企業側が過失者になり、被害者をお見舞いするケースが生じる場合がある。私の友人は運送業者だった。日頃から安全第一を従業員に徹底させてはいたものの、職業ゆえか、ある確率で事故による過失が生じてしまう。被害者への対応は人一倍慎重にかつ丁寧に行った、と心構えを語ってくれた。飛行機事故のことなどを推測すれば想像がつくが、生死にかかわることでもあり、対応の仕方については、われわれの想像を超える難しさがあるのだろう。

日本の文化を考える上で、「見舞い」をどのように扱っているかを知りたくなり、愛読している『民俗学辞典』を紐解いてみた。古い辞典であり、説明内容が村社会の事例が中心なので、昔の日本文化という印象が強いが、列挙すると、病気見舞、忌中見舞、産見舞(出産時)、普請見舞(家の新築時)、留守見舞(旅行中のこと)、火事見舞、水見舞等々、が取り上げられている。時代により継続しているものもあれば、変容を遂げている事象もある。

病気見舞いについては、思い出すことも多い。私の恩師の晩年は療養生活が長く続いた。お見舞いに病院を訪ねることもためらわれた。身内の方からは、短い時間の面会ならばいいですよ、とのことだった。久しぶりの面会は、いろいろな話題に及び楽しいものであった。その時の話題として、私が出かけたばかりの奈良県明日香村のことなどを話した。仏教伝来など大陸の影響が強かった6~7世紀頃の時代である。「当時は何語で話していたんだろうね」とは恩師らしい発言だった。

ベッドの枕元には読みかけの本が数冊あり、読書家らしい眺めだった。同じく枕元には新聞が届けられていた。これはある出版社の社長が毎朝病室に立ち寄り届けていたものであった。お二人の関係性がうかがえる。私はその日の午後にシンポジウム出席予定だった。「もう行かなきゃいけないのだろう」「ではまた」、という会話が、最後のやりとりになった。恩師の訃報を聞いたのは、この日の面会から6日後のことであった。

(金安岩男 慶應義塾大学名誉教授)2025.9.1