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病院初級者

身内が今年100歳を迎え、人生100年時代というメディアの見出しが、身近なものになった。長い人生は山あり谷ありであるが、生老病死の苦しみをどのように克服するかは仏教の教えの中心をなしている。

私たちの健康を診断し、治療する場所として病院がある。人間長く生きていれば、体のどこかが悪くなっても不思議ではない。私もこれまでの人生で、何度かは病院に出かけたことがあるが、世間の平均からすると通院頻度は少ないほうに属しているようだ。今年は、通常の定期的な健康診断に伴い、病院に何度か出かける機会があった。病院利用に不慣れな人間にとっては、慣れない環境に身を置く異文化体験に近い。

MRI(磁気共鳴画像)検査やCT(コンピュータ断層撮影)検査なども行ったが、いくつか実施した検査・治療は概ね良好であった。改善のための治療としてはピロリ菌(胃の粘膜に住み着く菌の一つ)の除菌があった。投薬の結果、値は基準値内になった。医師による診断結果は「成功です」の一言。この言葉で、一安心と相成った。

病院体験と言えば、数年前に、近所の眼科で治療を受けた帰宅後のことを思い出す。会計受付で、確か「お薬出しておきました」という言葉を耳にしたが、薬を受け取っていないことを、帰宅してから気がついた。すると家人は、「それは処方箋を出したので、薬局で薬を購入してください、という意味です」、とあきれ顔だった。私は病院利用の初級者であることを自覚した。

そして、私の場合は、掛けた保険金額の方が、利用機会よりも大幅に上回っている。何か損をしたような気がしないでもないが、それほど多くは病院にお世話にならずに済んだわけであり、これはこれで良しとしよう。保険とはそういうものである。

病院利用に限らず、どの世界でも、その世界の流儀がある。早くその世界の文化ルールを体得し、順調に動けるようにすることが肝要である。非日常が日常になる、異文化コミュニケーションの一つと考えればよいのかもしれない。

調合をしてもめったに持って出ず 柳多留
(待合室が人で混んでいるように見せる意)

(金安岩男 慶應義塾大学名誉教授)