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旧交を温める

自分自身の人生を振り返り、どこに住み、どこに所属し、そしてどのような活動をしてきたのかについて考えると、人との出会いや仲間の存在が大きくかつ重要であることを再認識する。最近、私がかつて地方自治体で一緒に活動した仲間が集い、旧交を温める機会が二回ほどあった。今回の随想欄では、この集まりのことをご紹介したい。どちらも、私が研究所の所長を務めた自治体なので、集まった人たちとは旧知の仲である。

昔の仲間たちが、役所の定年を丁度迎えたか、またはこれから迎える年代の人たちが多いので、このような懇親の機会が設けられたように思われる。そこで、単なる飲み会にしたくないので、冒頭に数分の時間をもらい、私が話題提供することにさせてもらった。私が関心を持っている事柄は、すでに本欄にその時々に記載しているので、その中から自治体職員向けになる話題を選択してみた。

どのように話題を組み立てたのか。私たちは、社会においてどのような「役割・存在」であるのか、自治体職員の「使命」は何なのか、言葉によらない「暴力」、そしてさまざまな素材をもとにして「組み立てる」意義など、四つのキーワードを取り上げてみた。

ことば1は、河井継之助1827-1868のことばである。河井は、幕末に長岡藩家老として、幕府側に立って、戊辰戦争を戦った。この戦いで、足に傷を負い、それがもととなり亡くなった。司馬遼太郎の小説『峠』でよく描かれているので、人気がある。近年映画『峠』が上映され、河井継之助の役は役所広司が演じた。因みに、役所広司は、元千代田区役所の土木課勤務の地方公務員だった。俳優養成の無名塾を主宰した仲代達也が、役所と工事の連想から、現在の役者名をつけたらしい。

私の父は長岡市出身なので、河井継之助や山本五十六などは、身近に感じる。私は二人のそれぞれの記念館を訪問したこともある。河井は何といったのか?

 「民者国之本 吏者民之雇」  

「民は国の本、吏は民の雇い」と読む。つまり、国民や市民が、国の基本であり、役人は、人々が税金を負担して雇い入れる。その上で、公益のために働いてもらう存在、ということである。河井は、西欧の考えを引用したと言っている。当時の知識人は、海外思想もよく勉強していたようである。私たちは、社会において一体どのような「存在」であるべきか?最近の政治家諸氏のパーティ券による裏金問題などを見るにつけ、考えさせられる。

ことば2は、黒澤明監督の映画『 生きる』(1952、昭和27年)からの話題である。主人公である自治体の市民課長は定年が間近になり、ハンコをつくだけの日常だったが、自分自身がガンになっていることを知り、自暴自棄になった。しかし、その後はやる気を出して、地元民の希望を実現すべく努力し、児童公園を完成させる物語である。この話は、本欄でも前回すでにご紹介したので(2024年2月)、その項目をご一読いただきたい。その際に、葬儀における弔いで、地元民による無言の悲しみの力を取り上げた。自治体が舞台なので、私は自治体内での職員研修でぜひ取り上げるようにとお話しした。70年程前の映画だが、現代並びに近未来を見据えて検討するとためになると思う。

ことば3は、ことばの対局にある、ことばによらない「暴力」の持つ脅威についてだった。取り上げたのは、2022年7月8日に奈良市大和西大寺駅前で起きた「安倍晋三元首相暗殺事件」と川柳における表現であった。これも、本欄ですでにご紹介したところなので、その欄をご覧いただきたい。

最後の話題になる、ことば4は「成る」ということについてだった。これも本欄で執筆済みで、以前刊行した『木配り』(金安岩男著、2017)にも掲載済みである。

 歌や詩や画は・・・
それらは「在る」とは言えません。
それらはそのつど「成る」のです。
         (詩人 リルケ)

文章を考えても、単語だけあっても文章は成立しない。単語、文法、内容、テーマなどが、一体となって、初めて文章になる。私たちは、そのようにして、いろいろなものごとの解体と組み立てを繰り返して、新たな考えや仕組みを作り出そうと努めている。なにやら、死んでは生まれ変わる細胞のようであり、私たちの身体の活動にも似ているようだ。どの分野においても、このまとめ上げることにより「成る」、ことの重要性を認識しておいてほしい。

職員の多くは順調に昇進し、より高度な判断を要するポストについている。研究員の何人かは、大学の専任教員や官庁の専門職につくなど活躍している。また研究活動で協力していただいた先生方も、世の中で活躍されている方が多く、自慢の組織になっている。活動自体が成果物であったような気がする。人間関係の絆の強さが、システムの力を生み出すという、人間関係資本という考え方があるが、その一つであるといえるかもしれない。おいしい食事と、久しぶりのおしゃべりを楽しむ晩となったのは、大変うれしいことであった。

(金安岩男 慶應義塾大学名誉教授)