「生きる」
2024年は、能登半島地震、羽田空港での飛行機事故など、新年から不穏な出来事が続いている。自然災害、人為的、技術的問題など、「生きる」ことの意味を改めて考えさせられる。そんな折に、黒澤明監督の名作『生きる』がテレビで放映されたので鑑賞した。
この映画が製作されたのが昭和27年(1952)だから、第二次世界大戦終了の戦後7年のことで、今から72年前になる。あまりに有名な映画だが、あらすじは次の通りである。主人公は志村喬が演じる市役所の市民課長で、定年間近かであった。ハンコを押すだけの単調な毎日、なかなか生きがいをみいだせずに、悶々としていた。
ある地区の住民が、湿地帯だった所に、児童公園をつくってほしいと陳情するも、役所内をたらい回しで、話が先に進まない。後年になってから、千葉県の松戸市に「すぐやる課」が出来たぐらいだから、仕事振りは推して知るべし、よくある話である。
ある日の医師の診断結果は、主人公の胃がんであった。自暴自棄になったご本人は市役所を無断欠勤して、知人と飲み屋へ、そしてダンスホール、ストリップショーと、堅物課長としては珍しく放蕩三昧をする。これらは人生の楽しみかもしれないが、何かむなしい。役所での元部下の若い女性とお茶を楽しむが、女性からも次第に疎まれる。人生って何だろう。「生きる」って何だろう。人生永遠のテーマが投げかけられる。黒澤のヒューマニズムを追求した名作といわれるゆえんである。
その後、主人公は放蕩三昧から何かに目覚めたようである。役所への出勤が再開した。突如、人間が変わったように、児童公園を建設するために関係者に働きかけ、行動を開始する。各担当課を回り、市長に次いで偉い存在である助役にも掛け合う。最終的には児童公園の実現に至る。地元民を含め、実状を知る人たちは、主人公である市民課長の貢献と功績を認める所である。
出来上がった公園のブランコに揺れながら、主人公が歌う「ゴンドラの唄」は、「命短し 恋せよ乙女・・・」。主人公はここで人生の終焉を迎える。
自宅での葬儀では、役所の助役を筆頭に、部長級などのお偉いさんがそれぞれ考えを披露する。児童公園の実現は、市民課長一人の手になるものではなく、それぞれの担当課などの努力によるものだとするが、手柄合戦のごとくである。発言内容は、もっともな所と空々しさが相半ばしている。
そこに、児童公園の実現に関わった地元の女性たちがお悔やみをしたいと弔問に来た。この女性たちは、無言のまま、嗚咽をしつつ弔問を終えて、帰っていく。役人たちの手柄合戦は吹き飛んでしまい、言葉を超越する迫力に圧倒される。私には、「無言の強さ」が強調される、この場面が強く印象に残る。
この映画は自治体が舞台であったが、映画が示唆しているテーマは、分野に限定されず、普遍性を持っている。学校や職場での教材として有益だと思う。どのような事項を押さえておけばよいのか?
・目標の設定: 児童公園の実現
・制約条件: 予算、法律(土地の用途地域)
・限られた資源の活用: 人、もの、カネ
・重みづけ: 適切な評価
・手続き: 行政システム
・決定方法: 議会制、民主主義
・その他: 多数
現代の視点からは、72年間の時の流れも考慮しつつ、働き方、職場、ハラスメントなどについても比較検討することは有効である。ちなみに、リメーク版英国映画として、『生きるLiving』が、2023年に日本で上映された。