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Column|鎌倉ハイキング

鎌倉は、東京の都心から電車で一時間程度で行くことができ、都心から近い行楽地として人気がある。鎌倉の南側は湘南の海だが、他の三方は山に囲まれている。その山々の稜線はハイキングコースとなっている。鶴岡八幡宮の北側には天園ハイキングコースがあり、町の西側には葛原ヶ岡ハイキングコース、大仏ハイキングコースなどがある。今回は鎌倉の紅葉を楽しみたいと考え、町の東側にある祇園山ハイキングコースを歩くことにした。このコースは、私にとって五回目くらいの散策となる。

鎌倉駅には昼前に到着し、駅に近い蕎麦屋に入る。信州そばとある通り、蕎麦は細目だが、私の好みの山形の蕎麦のように歯ごたえがある。腹ごしらえが済んだら、後は歩くだけ。今回は歩くことが主要な目的である。まずは妙本寺に立ち寄る。この寺が立地する所は、比企ヶ谷と呼ばれている。その名にある通り、かつて比企の屋敷があった所である。比企尼は源頼朝の乳母であった。その関係から、比企能員(ひきよしかず)は源頼朝の側近として力があり、比企能員の娘若狭局は、二代将軍源頼家の妻(側室)となった。

天保三年建立といわれる二天門をくぐると、すぐ右手に頼家の息子である一幡の供養塔(袖塚)がある。知らないと見逃してしまうほどの規模である。北条時政(政子の父)と比企能員との対立により、比企能員も一幡も、一族は殺害されてしまう。さらに右手に進むと、比企一族の墓がある。

巨大な祖師堂はその規模からも雄大であり、絵になる。結婚式用の記念写真撮影(前撮り)が何組も行われていた。妙本寺の記憶としては、10年ほど前に、あるベテラン落語家による独演会が本堂であったので、出かけたことがある。演目は「甲府い」などだったが、あまりうまいとは思えなかった。しかし、お寺の本堂での落語会は趣があるので、私の好みの一つである。この寺以外にも、何度がお寺の落語会に出かけたことがある。

落語の発祥の経緯などを知ると、寺と落語の関係もまんざらではない。京都の露の五郎兵衛は、その昔日蓮宗の僧侶だったので、説教を基本にした落とし噺を、四条河原や北野天満宮でやったらしい。大坂の生国魂神社の境内に小屋を建て、噺を提供したのは米沢彦八だった。屋外での催しや、寺での節談説教などがあるようなので、寺は落語の本来の場所だったと言えるかもしれない。

妙本寺の裏手に、祇園山ハイキングコースに通じる道がある。久しぶりだったが、この道は、昔と比べて土が崩れるなど、歩きにくくなっていた。こちらの足腰も大分怪しくなっている。やっとのことでハイキングコースに出た。あとは比較的歩きやすい道が続く。

このコースの樹木は概ね緑色で、紅葉を楽しめるような木が少なかったが、とにかく歩く。自分の脚力と体力の衰えを痛感する。鍛えねば、と強く思う。このコースの終盤が近づく。東勝寺跡、北条高時腹切りやぐらに到着する。かつては、このやぐらである墓場まで入れたが、 いまは通行禁止になっていた。

この近くに、滑川にかかる東勝寺橋がある。この場所に因んでは、青砥藤綱の話が有名である(『太平記』)。ある時、藤綱はこの橋から、銭十三文を川の中に落としてしまった。銭五十文で買った松明に火を灯し、人夫をやとって拾わせた。なかなかみつからないので、ある人夫が悪知恵を働かせて、自分の腹掛けから小銭を一文ずつだして、川底から拾ったように見せかけようとした。悪事はばれてしまった。金銭の重要性を説くエピソードである。

その後の訪問地は、北条執権屋敷のあった所で、現在は萩寺として有名な宝戒寺、次いで、現在は横浜国立大学付属小学校、中学校、清泉女学院などがある土地で、大倉幕府があった。これらの旧跡などを通って、源頼朝の墓、北条義時(政子の弟)の墓、大江広元(公文所の別当)の墓、島津忠久(島津氏の祖)の墓などがある所まで階段を上がる。義時の墓があった持仏堂は、QRコードで復元図をスマホで見ることが出来る。

休憩なしで歩き続け、鎌倉国宝館を見学する。ここは、関東大震災後に、文化財保護を目的に設立された施設である。開館は、昭和3年のこと、西暦で言えば1928年だから、関東大震災の5年後ということになる。仏像彫刻などが常設展で展示されている。見学者も少なく、ゆっくり楽しめるのはうれしことである。

鶴岡八幡宮の大銀杏は倒れてしまったが、小さく復活した枝葉は黄色く色づいていた。最後の訪問先は、若宮大路から少し入った所で、昔の武士の館を示した掲示板である。ここにはいつも立ち寄る。これで気持ちが落ち着く、というのが、私の鎌倉散歩の儀式である。主な訪問先は終了したので、鎌倉駅に向かった。

今回のハイキングで、体力チェックが出来、見聞した事柄をさらに探求したくなり、既存の知識を再編集している自分を発見できたのは、小さな収穫だった。

著者:金安 岩男 (慶應義塾大学名誉教授)

1947年2月に東京の下町に生まれる。
学部で経済学、大学院で地理学を学び、外資系情報企業、国立大学、私立大学での勤務経験を有し、研究、教育、研修などの各種プロジェクトを実施。地理学者として、計画実践、プロジェクト発想に取り組んでいる。海外諸都市の街歩き、相撲などを趣味に、発想のヒントをいつも探究中。社会的活動として、政府機関、地方自治体の各種審議会、委員会などの会長、委員などを務めている。
主な著書に、『時空間の構図』、『プロジェクト発想法』、その他多数。現在は、慶應義塾大学名誉教授、新宿自治創造研究所所長。