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エンジョイ・ベースボール

今夏の全国高校野球選手権大会は、二連覇を目指した仙台育英高校の下馬評が高かった。ところが、「エンジョイ・ベースボール」をモットーにした慶應義塾高校が、制覇したので社会の話題になった。107年振りの二度目の優勝という歴史的勝利をあげたからである。この日は、藤井聡太七冠と挑戦者佐々木大地七段による将棋の王位戦があり、終盤の攻防戦と、野球の勝負の行方とが、ほぼ同時間帯に重なった。私にとっては、テレビ中継とネット中継とを同時に視聴する忙しい日となった。

優勝した慶應高校の森林監督は、選手諸君の自主性を重視し、高校野球の可能性、多様性の実現を目指した。野球部員は百名強いるが、ベンチ入りできるのは、20名に限られる。優勝するためには、日頃の豊富な練習量があったことだろう。われわれ外部の人間には見えないだけである。チームと支援する関係者の努力の賜物としての優勝を称えたい。

決勝戦に敗れ準優勝となったものの、仙台育英高校の須江監督の受け答えも好印象だった。人生は敗者復活戦と表現し、良き敗者の重要性を強調していた。勝者のインタビュー に拍手を送っていた姿が、敗者としてのいさぎよさを感じた。

かつて慶應義塾の塾長をつとめ、上皇が皇太子時代に助言者の役割を担った小泉信三先生は、ご自身もテニスを楽しむなど、スポーツを大事にした学者としても知られた。『練習は不可能を可能にす』という著書もお持ちである。試合に負けた場合でも、「良き敗者たれ」と主張していた。

慶應義塾は、私も学びかつ教鞭をとった学校なので愛着がある。甲子園の全国高校野球大会における慶應高校の優勝を巡るエピソードが種々報道されているが、私が知る慶應義塾の特徴とも符合する所がある。

例えば、慶應の中等部には校則がない。組織となると、何かと規則を作りたくなるものである。湘南藤沢キャンパスを開設して間もない頃に、キャンパス運営でそのような経験をした。新設なので、その種の規則制定が必要になり、検討し始めた時である。慶應出身の先輩教授が助言をしてくれた。「慶應は規則など作らず、自由を尊重するのが伝統なんだよ」。自由を何よりも大切にしようとする精神である。

学生たちの学習姿勢にも、自由さが見て取れる。キャンパス内にあるメディアセンターは、書籍と各種媒体の情報、そして情報機器から構成される知識の宝庫であり、ネットワークの要になるセンターとして、キャンパスの中央部に設置された。地の利とその機能からして、多数の学生が集まってくる場所である。グループワークを奨励したから、学生たちはわいわいがやがや、楽しく課題の作業をこなした。この「わいがや」という研究・教育体制は、コラボ(協働)のエッセンスを体得する良い機会となった。もしこの施設を図書館と名乗ったら、途端に、「静粛に!」となったことだろう。

しかし、この施設にふさわしいのは、静かに読書や調べ物をする場づくりに加えて、適度に会話を交わし、内容のある成果を出すことである。知的生産活動にふさわしい環境とルールとを用意してあげることが求められる。その後、スペースのすみ分けなど、いろいろ工夫している。

この種の自由さを学問的にまとめたのが、ノーベル経済学賞のハイエクの「自由さが生み出す秩序」(自生的秩序)という考え方である。自然に作り出される秩序のあり方を模索するためには、それなりの余裕が必要である。エンジョイ・ベースボールという標語も、日頃の練習によって力をつけ、余裕をもって試合に望みたい、という意味なのだろうと思う。