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一か月ほど前に、和紙に墨で書かれた、ある古い文書を義父から預かった。何やら運搬に必要な人足の数と品物の一覧、そして文章から構成されている。文字数はそれほど多くないが、何せ崩し字からなる古文書なので私が判読を担当することになった。この古文書は一体どのようなもので、何が書かれているのだろうか。単なる、にわか古文書判読初心者に過ぎない私の挑戦が始まった。
文書が作成されたのは、明治時代に入る三年前の、今から150年前の幕末は慶應元(1865)年5月14日のことで、作成者は櫻井惣八郎である。櫻井惣八郎は幕末から明治にかけて生涯を送った人で、義父の曽祖父であるから、私の家内のご先祖ということになる。櫻井惣八郎は、徳川幕府の御鉄砲方・大筒方の要職にある井上左太夫の家来と推測される。因みに、御鉄砲方・大筒方は、幕府で井上家と田附家の二家のみだった。文書の本文は、「覚」(おぼえ)という見出しのもとに、運搬に必要な人足の数52人とその内訳を記している。運ぶべき長持の中身は鉄砲、弾薬、提灯、蝋燭、鉄砲の付属品であり、長持などを運搬する人足の人数などを記している。さらには、馬の数や薬を運ぶ荷についての一覧もある。これらの荷物を、江戸の伝馬町、品川宿から大坂まで、幕府の公用として運ぶのである。したがって、宿場の問屋(「といや」と読み、人馬の手配をする所)や担当役人に知らせる内容になっている。幕府の御用だから、関所もフリーパスになる。
この文書は、「御進發御供 先觸」と題されている。「御進發」(ごしんぱつ)とは将軍の出陣のことであり、その御供につくということである。「先觸」(さきぶれ)とは、あらかじめ街道の宿駅に人馬の継立てなどを準備させた命令書である。1865年当時の将軍を調べると、14代将軍徳川家茂(いえもち)である。夫人は皇女和宮で、夫婦仲がよかったことで知られる。家茂は三度ほど、京都に出向いている(「上洛」)。1863年2月に、約三千人の幕臣を従えて陸路で上洛したが、将軍の上洛は229年ぶりで、帰路は軍艦で大坂から浜御庭(現在の浜離宮)に上陸し、江戸城に帰っている。二度目は、往復を海路で、そして三度目が慶應元(1865)年5月16日に陸路により江戸を発った。この時が、ここで紹介している文書と符合する。この出立は、将軍徳川家茂の一行が長州征伐のためであり(つまり御進發)、上洛した。その後、時の孝明天皇(家茂の義兄)から許可が下りなかったために、家茂は京都に足止めになった。翌慶應二(1866)年に病になり、数え21歳の若さで現地で亡くなった。亡骸は船で江戸に運ばれたという。その後に15代将軍になった徳川慶喜も江戸を留守にしていたから、驚くなかれ3年間も江戸に将軍が不在だったことになる。
文書に記載されている一語一語が、時代、人物、社会の動向などに関係するので興味は尽きない。たった一枚の文書が、古文書判読事始めのきっかけとなり、時代背景、近世の交通史、政治、文化などの仕組み、その他、教科書では遠い存在だった過去の歴史が、今私の手の中に入ってきた。驚き以外の何物でもない。私の机の上は、幕府役職集成、古文書判読字典、古文書判読入門、幕末関連などの書物が積まれ、各種論文のコピーなども加わり、探索の楽しみが一気に増した。人生何が起こるか、実に分からないものである。このコラム欄には少し異色の、まさかの展開になっているのも楽しいことである。
(金安岩男 慶應義塾大学名誉教授)
