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神奈川県立金沢文庫は称名寺に隣接して立地している。北条義時の孫である実時は、五代執権・北条時頼のブレーンだったが、六浦荘金沢の別邸に、母親の菩提を弔うために阿弥陀堂をつくった。それが、称名寺の前身であり、金沢北条氏一族の菩提寺となっている。六浦荘金沢は鎌倉の東端にあたり、鎌倉とは朝比奈切通を越えて、結ばれている関係にある。
その後1259年に称名寺が建立されたことが分かっている。そして、その約10年後に図書館機能を持つ金沢文庫を建立した。13世紀の中世のことである。文庫(ふみくら)は、平安時代の『文選集注』(国宝)を初め、国宝や重要文化財を含めて、書籍、文書など二万点以上を所有している。「金沢文庫」の蔵書印は日本最古とされて有名である。
今年は運慶没後800年にあたるので、特別展も、近辺の寺院所有の運慶作の仏像などが集められた。仏師運慶は1151年頃に誕生したと推測される。奈良を中心に活動していたが、35歳頃から10年ほどは、相模の国に住み活動した。移動した理由は、源頼朝の義父である北条時政の要請により、伊豆願成就院の仏像を制作するためだった。願成就院には阿弥陀如来、不動明王、毘沙門天の像がある。そして、和田義盛夫妻が願主とする仏像は横須賀市の浄楽寺に存在する。浄楽寺には阿弥陀如来像など五体あるが、今回の展示では、不動明王立像、毘沙門天立像、そして月輪型銘札があった。
運慶銘札のある月輪型銘札は、1959年に毘沙門天立像の像内から発見された。しゃもじの形をした木札で、制作依頼者である願主の名前、制作者、年月などの情報が書かれている。
建物の棟札のようなものである。運慶ならびにその工房は一派を為し、慶派といわれている。各展示品は興味深く、かつ迫力がある。運慶作の不動明王立像はチラシの写真に用いられ、チラシを引き立てている。
特別展を堪能した後は、称名寺の庭園見物と裏山のハイキングと相成った。「称名寺市民の森」は、土地所有者の協力で緑地を保存する横浜市の制度である。最近は、自分自身の健康診断の代わりにハイキングで自分の体力を試すことにしている。行程は30-40分といった所であるが、さすがに上りの階段は試練の始まりである。途中、金沢山頂上には、実業家の大橋新太郎氏寄進の八角堂がある。大橋氏は当地に別荘を持ち、住職とも交流があった。関東大震災直後の昭和初年に、当時の金で5万円を寄付したところ、神奈川県議会は同額の5万円を予算に計上し、金沢文庫が建設された。大橋氏が知事と交わした契約書には、神奈川県が永久に保存・維持すべきとなっているとのこと。それが県立金沢文庫となった経緯である。また、観世音菩薩を100体ほど巡拝コースに設置するなど、ハイキングコースの整備、魅力づくりにも貢献した。篤志家や支援者の理解と応援が地域振興に欠かせない。
中国の瀟湘八景に似てることから金沢八景と名付けられたが、この山からは金沢八景を遠望することができ、眺望はすこぶる良い。浮世絵に多数描かれているが、広重の「称名の晩鐘」などが有名。さらに歩くと、北条実時の墓である宝篋印塔ならびに一族の五輪塔に到着する。ここからは階段を下るのみで、茅葺の釈迦堂に至る。金堂、庫裏、鐘楼などがあり、謡曲「六浦(むつら)」に因む楓の木もある。この木は初代が枯れたので二代目になるが、その解説板がある。
称名寺は、首都圏で見られる浄土庭園として有名であり、私の好みの庭園の一つである。同様の形式の庭園に岩手県平泉町の毛越寺があり、鎌倉では近年整備された永福寺跡もお勧めである。称名寺入口の赤門、金剛力士像が立派な仁王門、そして阿字ケ池の中島にかかる朱塗りの反橋と平橋は、いつ見ても絵になると思う。
この庭園の特徴は配置にある。これは、西側(彼岸)が理想の西方浄土、東側(此岸)がこの世を指している。「称名寺絵図並結界記」と題した絵図が現存しているので、過去どのような建物がどのように配置されていたかを復元できる。称名寺庭園の発掘調査報告書にその詳細が記録されている。それらの情報を参考にして、護岸や橋などの位置を確認し、今日の庭園が整備された。称名寺内の建物は、江戸時代に建てられたものが多いが、建物内に安置されていた仏像などは中世のものが多い。
20年ほど前には、アメリカからの客人をここへ案内したことがある。東京から近い距離にある場所で浄土庭園が見られるとは思いもよらず、日本庭園好きのご夫妻に喜んでいただけた。庭園のたたずまいや背景となる山と森は以前と変わらなかったが、参道にあった茶屋は、今やデイサービスの施設に変わっていた。時代の反映なのだろう。次は桜の季節に再訪しようと思いつつ、現地を後にした。
(金安岩男 慶應義塾大学名誉教授)
