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Men’s Life Style
金安 岩男

著者:金安 岩男
1947年2月に東京の下町に生まれる。
学部で経済学、大学院で地理学を学び、外資系情報企業、国立大学、私立大学での勤務経験を有し、研究、教育、研修などの各種プロジェクトを実施。地理学者として、計画実践、プロジェクト発想に取り組んでいる。海外諸都市の街歩き、相撲などを趣味に、発想のヒントをいつも探究中。社会的活動として、政府機関、地方自治体の各種審議会、委員会などの会長、委員などを務めている。
主な著書に、『時空間の構図』、『プロジェクト発想法』、その他多数。現在は、慶應義塾大学名誉教授、新宿自治創造研究所所長。

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三十年振りに長崎へ旅行に出かけた。前回の旅では、遠藤周作の小説『沈黙』の舞台となった隠れキリシタンの里である外海地域などを見て回ったが、今回の旅はスコセッシ監督による近作映画『沈黙』が私の背中を押した。そして、あらためて長崎の街の成り立ちを知りたくなった。

初日は強い雨風だったので、長崎歴史文化博物館に入り、じっくり基礎学習をした。この博物館がある場所は、江戸時代には長崎奉行所の立山役所があった所で、お白洲などの奉行所の一部が復元されている。意外にも、長崎は城下町ではなく、幕府の天領であり奉行所のみがあった。奉行所は、現在博物館がある立山役所と現在長崎県庁のある西役所の二か所があった。博物館はなかなか立派で、売店においてある長崎関係の書籍も充実している。本と地図は、私の商売道具なので、必ずチェックする項目である。ボランタリーの人が、懇切丁寧に長崎の歴史と文化を説明してくれた。予習はしておいたものの、なるほどと思うことも多く、この博物館での滞在時間が、その後の街歩きに効果を発揮した。

二日目は天気も良く、安くて便利な市電で移動し、洋風建物群が数多く残る東山手地区を歩く。どの施設も整っている上に、無料で見学できる建物もある。坂の街も実感できた。諏訪神社、寺町の唐寺、坂本龍馬らの亀山社中、中島川にかかる眼鏡橋など、見どころが多い。三日目は快晴。ホテルから歩いて出島へ。2016年現在で16棟の建物が移築もしくは復元されている。ここもボランティアの人が多数説明に当っている。明治の時代になってからは、出島周辺も埋め立てが行われ、多くの土地は売却された。ところが、第二次大戦後に長崎市は重要な決断をして、出島の復元を目指し、50年の歳月を要して土地の買い戻しにかかった。その結果、出島そのものの復元と、現在周辺に立地している建物も将来は取り壊され、堀割に囲まれた出島の誕生が予定されている。多大な費用を要すことは容易に分かるが、日本の歴史を考える上でも、長崎の人々の政策判断を高く評価したい。

なぜかと言えば、自分中心の日本型の「華夷意識」と外交政策を考慮した「海禁」(国家が対外関係を独占すること)の観点から、長崎を見つめると、長崎を窓にして、世界的な視野から日本のことを考え直すきっかけにもなるからである。通信関係の朝鮮(対馬藩)・琉球(薩摩藩)、通商関係のオランダ・中国(長崎)などとの国との付き合いが、歴史上も意味を持ってくるばかりでなく、かつての「鎖国」概念の変更をもたらした。

長崎歴史文化博物館の展示で見た唐人屋敷跡に興味が湧き、そこへも足を運んだ。江戸時代には中国人が集められて住む区画であった。この区画は小さな川で取り囲まれているが、この区画の各隅には石柱があり、今でもその面影が残っている。土神堂、天后廟、観音堂、福建会館などがあり、蔵づくりの案内センターもある。現在の「新地」中華街は、その昔は「新地蔵」、つまり新たに埋め立てた土地に蔵が建っていた。そして、唐人屋敷、新地蔵、出島の三か所が、極めて地理的に近い関係だったことが、絵図を見ると良く分かる。

丸山花街にある料理屋さんで卓袱(しっぽく)料理を食べ、幕末の坂本龍馬らの亀山社中、ポルトガル人、オランダ人、そして中国人などとの交流に想いを馳せる二泊三日の長崎旅行であった。
(金安岩男 慶應義塾大学名誉教授)
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