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落語家が良く使うまくらの言葉に、「お客さん、わたしの落語を聞いたって、何ーんの役にも立ちませんよ」、というセリフがある。人文、社会系の学問は、多分にそんな風に見られているようだ。今回は、日本の詩の一形態である連歌(連句)を取り上げ、その発想の意味について考える。
国語の授業で習ったように、同じ五七五の十七音からなるのに、俳句には季語があるが川柳には季語が無い。なぜだろうか? その違いを知るための鍵は、連歌、連句の理解にある。連句は、複数の人々によるジャズのセッションに似ており、今風に言えば、「コラボ」(協働作業)となるだろうか。江戸時代ならば、俳諧では「座の文学」の「座」が存在し、狂歌には狂歌連などの「連」(仲間)の存在があった。今日のソーシャル・ネットワークに相当する。連句は、五七五の後を七七で受け、そのやり取りを以後繰り返す。相互相乗りの興を愉しむ創作活動である。
連句は、一句から三十六句までで構成される場合を「歌仙」という。百句までだと、「百韻」という。一句から三十六句までの概略は以下の通りである。
一句 「発句」 句会全体のテーマの提示となり、五七五の文字数で季語が入る。客が挨拶するための発端となる句。【起】
二句 「脇句」 七七の文字数で、迎える主人が脇につける句。【承】
三句 「第三(句)」 三句以降では季語は不要で、五七五・七七を以後繰り返す【転】
第四句以下は「平句」(ひらく)という。いくつかの約束事の下に展開する。【転々】
三十六句 「挙句」 最後の句のことで、「挙句の果て」と現代社会でも使う。【結】
「発句」の五七五を発達させて文芸にまで高めたのが、俳聖松尾芭蕉の功績である。明治以降は、正岡子規が江戸時代の俳諧は「月並み、卑俗、陳腐」だとし連歌をも批判した上で、今日にみる俳句を発展させた。連句のルールからも俳句は季語入りである。第三句以下の五七五を発展させたのが川柳であるから、季語は特に必要としないのも連句のルール通りである。よって、同じ五七五の十七音であり、出自は連句からなので同じであるが、それぞれの出番、役割が違うという訳である。これで俳句と川柳の違いが理解できた。
連句は、構図的には「起承転結」の組み立てになっている。連句は、話題を転々とし、その展開を楽しみ、大変柔らかな発想方法である。一方、論理的な思考展開ならば、序論・本論・結論の順で、「起承結」となる。科学的方法の手順に見られるように、直線的な論理展開である。よって、日本式の「起承転結」は、思考が横道にそれるような印象を与え、欧米的な論理思考に慣れた人たちには不評である。
私は、本欄でもかつて触れたことがあるように、帰納法、演繹法に加えて、発想法の観点から、「起承転結」も効果的であることを主張している。これは、異質のもの同士の組み合わせから新たな価値を生み出そうとする、発想法の考え方に通じるからである。日本の詩の一形態である連歌(連句)は、十分に発想のヒントになると思うがいかがだろうか。
(金安岩男 慶應義塾大学名誉教授)
