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4月に京都へ出かけた。京都へはこれまでにも何度か出かけているが、用事の合間に見て歩くことが多かった。時間的制約などから見る所も限られていたので、印象も断片的にならざるを得ない。そこで今回の旅は時間的な余裕もあったので、個人的な興味に沿って、少しテーマを決めて出かけることにした。今回は仕事ではなく、最近少しかじっている平清盛と平家物語に縁の土地を巡る旅となった。
昼頃に京都駅に到着した。ホテルに荷物を預け、駅からはタクシーで法住寺(ほうじゅじ)を目指した。数多ある京都の寺なので、法住寺を真っ先に目指す客はほとんどいないようであった(タクシー運転手の話)。いまでこそ敷地は小さいが、その昔(12世紀頃)は、新幹線が通る線路の南側までを含む広大な土地であった。法住寺殿といえば、後白河天皇(後に上皇)の離宮のことであった。1164年に後白河上皇は平清盛に勅命して、三十三間堂(正式名称は蓮華王院)を創建した。これは法住寺殿の仏殿だった。後白河上皇の息子高倉天皇と平清盛の娘徳子(建礼門院)とが結婚したことにより、平氏は天皇家との姻戚関係ができ、大いに権力を増すことになった。後に、平家物語で悲劇的に描かれることになる安徳天皇は、彼らの子供である。私がまず法住寺に立ち寄った理由は、ただ単に後白河上皇と平清盛とに関係する土地に身を置きたかったことと、隣にある後白河天皇陵を参拝することであった。
法住寺隣の養源院(秀吉の側室淀君が父浅井長政の供養のために建立)にある俵屋宗達直筆の板戸絵(八面)や襖絵(十二面)などを説明付きで観賞できたのはありがたかった。板戸絵には、白象、獅子、麒麟等が描かれている。線は単純だが、人を魅了する表現となっている。俵屋宗達は、かの国宝風神雷神図屏風をしたためたことで有名である。養源院の向かいにある三十三間堂には風神雷神像があり、その像をもとに風神雷神の絵を描いたのではないかと想像するのも楽しいことであった。実際は、「北野天神縁起絵」に由来するらしい。また、近くにある方広寺の梵鐘(大仏殿跡地)は、「国家安康 君臣豊楽」などの文字がある。現物はその箇所が分かるように白く示されている。家康を切り裂いているとのことで、大阪冬の陣、夏の陣のきっかけを作ったとされる。
法住寺の北側は、当時栄華を誇った平氏一族の屋敷が並んだ六波羅となる。六波羅邸といえば平清盛邸のことであり、六波羅には、全盛を誇った平氏一門の邸宅群が5,200余りもあったという。この辺りは、京都の鳥辺野であり葬送の地だった。その証が、六波羅密寺や、六道珍皇寺(六道の辻)などの存在である。松原通り(清水道)なども、鴨川から東に向けて登り坂となっており、葬送地鳥辺野への道であることが実感できる。
たった半日の街歩きであったが、平家一門の盛衰を少しだけ感じることができた。実物を身近に見学でき、さらには思わぬ副産物もいくつかあって大いに楽しめた。
(金安岩男 慶應義塾大学名誉教授)
法住寺
http://hojyuji.jp/
