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先日、ヘアサロン大野代表の大野悦司さんから、歌舞伎に行きませんかとのお誘いがあった。用事が出来たので歌舞伎座に行けなくなったとのことであった。私は国立劇場へは数年前に行ったことがあるが、歌舞伎座に行ったのはもう大昔の話となる。ご好意に甘えて、久しぶりに改築なった歌舞伎座へと出掛けた。
芝居見物と言えば、明治の文豪夏目漱石のある随筆のことを思い出す。漱石には『硝子戸の中から』と題した小品がある。文庫になっているから本の入手も容易である。題名の「中」を「うち」と読むのか、「なか」と読むのかについては、ルビの振り方からも文学関係者の間で議論があるらしい。「うち」と読めば、「うち」から「外」を見る意味と受け止めることができ、「なか」と読めば、座っている状態や内側にいる空間的意識と解釈できるようだ。文学研究者の議論は中々むずかしい。この随筆の中で、漱石の姉たちの芝居見物に関する記述があった。随筆の著者である漱石自身は大して意識していなかったと思うが、私は大いに興味を持ったのでここでご紹介したい。
明治時代の東京の芝居小屋といえば、浅草の浅草寺裏手にある猿若町の芝居小屋が有名であり、中村座、市村座、森田座(後に守田座に改称)が江戸三座として知られていた。これらの小屋は天保の改革により、1842年に当地に移転されたものである。現在では、案内板程度しか見られないが、芝居用の小道具専門店などが現存しているのは、その名残である。なお、これら芝居小屋のさらに北方には、かの有名な吉原があった。当時は「北(きた)」といっただけで吉原と分かったのだから、吉原はすごい力を持っていたものだ。
夏目家の主は名主をしており、夏目坂の名も残っている。漱石の生家の場所は、現在の早稲田大学がある馬場下にあった。漱石の姉たちは夜中に起きて身支度をし、夏目の家からは、徒歩で揚場町の船着き場に出た。現在のJR飯田橋駅の辺りである。揚場町は、文字通りに荷物の荷揚げをする場所だったので、その町名がある。徒歩で移動する際には、まだ辺りも暗かったので、用心のために下男が御供をした。そこからは屋根舟で、東西を流れる神田川を東に進み、大川(現在の隅田川)に出る。その後大川を北上し、浅草寺近くの今戸辺りで下船、徒歩にて猿若町に向かう。
芝居茶屋に立ち寄ってから、芝居小屋に到着。「設けの席」という目立つ優良席が用意され、幕の間には楽屋を訪ねたりする。一日中芝居を楽しんでからは、帰路は逆のコースで揚場町の船着き場に戻る。そこに、また下男に迎えに来てもらい、帰宅と相成る。帰宅時刻は夜中の12時頃になったというから、夏目姉妹にとっては、実にうきうきした、一日がかりの一大娯楽である。
私が神楽坂に足を運ぶ際には、JRの飯田橋駅で下車し、揚場町を通り、軽子坂を上って行き、それから神楽坂の裏路地に入り、散策することを日常のコースにしている。それは、きっとここでご紹介した漱石の随筆が影響しているのではないかと密かに思っている。私の関心は、徒歩と舟による移動程度だった時代に、芝居を楽しむための一日の行動ルートにある。一日24時間は限られている。行動する距離と時間の制約もある。それら制約条件の中での娯楽行動がどのようなものだったかは興味深く、これは時間地理学の研究領域でもある。
随筆や日記などは身近な素材を扱っている。書き手自身はとくに強い意識が無くても、読み手にとっては、特別な意味や意義を持つことがある。薄い文庫一冊でも大いに楽しめる一例であった。
(金安岩男 慶應義塾大学名誉教授)
