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旅行に適した季節になってきたので、松阪、伊勢、鳥羽へと足を延ばすことにした。とくに松阪は、私が45年ほど前に地域振興の企画づくりの仕事を手掛けた町であり、大変なつかしい町でもある。松阪へは、その後勉強会、講演会などを含めて数回訪問し、その都度見聞を広めた。この土地に関する知識は必ずしも脈絡がついているわけではないが、私が20代の時に関わった土地なので、土地と人々に対して不思議に強い記憶がある。
45年前に初めて松阪を訪ねた時は、松阪のことを何も知らなかった。そこで、松阪の歴史、地理、産業、文化的行事など、すべてのことを知りたかった。手元に集めた書物などでその実態を調べ、現地では名所を中心にしらみつぶしに見て歩いた。分からないことは、何でも聞くことにした。地元関係者とご一緒だったので、一般公開していない商家、本居宣長の奥墓(おくつき)、曽我蕭白の絵がある朝田寺(ちょうでんじ)など、比較的行きにくい場所をも訪問することができた。調査結果ならびに我々からの提案を後日報告会で披露し、地元の関係者とも親しくなった。
松阪のある三重県は太平洋に向かう鷲の形をしており、伊勢が眼、そして松阪が心臓に例えることが出来る。そこで私がこの計画作業を「イーグル・プロジェクト」と命名した所、皆さん大いに乗り気になり、強力な支援を得ることができた。自分の町が、県の心臓部だと言われて怒る人はまずいない。私たちの提案に刺激を受けて、地元の熱心な人たちは、その後いくつかのプロジェクトを立ち上げ実行に移した。堀のどぶさらい活動を手始めに、ボランタリーによる松阪案内、町を盛り立てるための会の組織化、等々であり、その活動に対して表彰されてもいる。頼もしい限りである。
現代では松阪のことを「まつさか」と言うが、江戸時代は松坂(昔は「坂」を使用)を「まつざか」と濁音で呼んでいたようである。そこで、どちらの読み方が正しいのか、何も知らない旅人なりの素朴な質問をした。現地の人の答えがふるっていた。「まちの中心に近い人たちは、<まっつぁか>(「ま」を強調)といいますよ」、とのことであった。地名や人名の呼び方はなかなかむずかしいものであるが、なるほどと思った。因みに、佐世保の「ほ」は、濁るのか濁らないのか。旅行客が尋ねた所、バスガイドさんが「ほぼ同じです」と答えたとのこと。これは国文学者の池田弥三郎さんからの受け売りである。
松阪は、三井家、小津家、長谷川家など、立派な商家を生み出し、江戸に進出している。現代でも、金融、百貨店、木綿、紙業など、四百年の歴史を有している。現在では、大手門前通りと伊勢街道の交差する所に、三越・伊勢丹が寄付した休憩所があり、さらに旧小津家は、今日では「松阪商人の館」として一般公開され見学可能となっている。国学者・医師だった本居宣長の出身地でもあり、本居家の鈴屋が松阪城址に移築されている。本居宣長記念館の展示物も充実している。例えば、宣長が12,3歳の頃に、赤穂浪士の話をお寺で聞き、家に帰ってから筆記した資料があったが、その詳細さは驚くほどである。手元にある古事記、小林秀雄の『本居宣長』、その他関連書も再読しなければとつくづく思った。
松阪城址、武家屋敷、町家、職人町などからなる城下町を見て歩くのは実に楽しい。蒲生氏郷は松坂そして会津若松の城主にもなっているので、身近な存在である。伊勢街道、和歌山街道、小路、そして掘割などを探ると、城下町の都市構造が見えてくる。旧同心町の家並みと槇垣も美しい。御城番長屋は20軒程度あるが、今でも現役で使用されており、その一部が一般公開されているのもうれしいことである。
散策終了後は夕方になっていたが、昔お世話になったHさん宅を訪問し、昔話や本居宣長談義で楽しいひと時が過ごせた。すべて歩ける範囲なので、その足で宿に帰った。この宿は江戸時代の創業で、現在の建物も百年は経っている。夕食はすき焼きをお願いしておいた。砂糖を上手に扱い、自慢の松阪牛の牛肉も野菜もさらっと調理しており、美味であった。この日は、土地と人を対象に仕事をしてきたことをありがたく思う松阪訪問の一日となった。
(金安岩男 慶應義塾大学名誉教授)
