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2012/05/11
現在ニューヨーク郊外に住むBさんによると、ニューヨークの新型コロナウィルスは大変な騒ぎで、昨年はスーパーマーケットで行列に並んではみたものの、商品が手に入らずえらい目に合ったとのことであった。トイレットペーパーなどの日常品を一年分も買いだめする人たちが続発した。スーパーマーケットで品物が揃い始めたのも、つい1週間ほど前からという。昨年は、娘さん夫婦の近くに住まいを一時的に移して、半年位住んだとのことであった。奥さんは今でも娘さん夫婦の所に、そしてBさんは単身自宅に居住しているとのこと。ご自宅へは、アメリカ建国二百年祭にあたる1976年の初夏に、引っ越しの手伝いで訪問したことを記憶している。
ニューヨークに50年も在住しているBさんにとって、日本の状況はどのように映っているのだろうか。「ガースーはどうなっているんだろうか」「最近問題が頻発しているようだが、日本の政治家や官僚に高い志はあるのか。小粒になったのではないか。」と、役人の処分につながった一連の接待問題に言及。「個人経営の飲食店はお金が毎日6万円も入って余る程だと聞くが本当か」等々、と最近の日本事情にも明るく、結構手厳しい意見のオンパレードである。
Bさんは大学で貿易関係の勉強をしたことから、その種の仕事に就いた。その後に、ニューヨークに定住し日本食レストランを経営していた。私がBさんに出会ったのは、私が大学院の課程修了後にニューヨークへ移動し、ニューヨークの都市研究を進めていた頃のことである。日中はニューヨークの街中を歩き回り、書店巡りをし、そしてニューヨーク大学の図書館に立てこもり、片っ端から各種資料に当たっていた。腹ごしらえに、Bさん経営のレストランに足を運び、私が調べたことや文化の違いなどのよもやま話に花を咲かせていた。それ以来の付き合いが今日まで続いているという、めずらしい関係である。
Bさんは、1940年生まれ(ということは80歳を過ぎた)で5歳の時に東京から山形県に疎開し、高校まで住んだ。疎開先が父親の出身地の山形県のある町だったことによる。今でもこわれると現地に出向き、小学生の課外授業を担当し、片言でも良いから英語を身に着けると世界が開ける、と将来のある子供たちを現地の山形弁で激励している。子供たちも目を輝かせて、Bさんの経験談に聞き入っている。子供らしく元気な質問も沢山出る。
電話を受けてから45分もおしゃべりを楽しんだ。「また、仲間4人で食事・飲み会をやりましょう」と言って、電話を切ることにした。仲間の4人というのもその時のニューヨークが縁でつながった仲間である。
私がアメリカの大学院に留学した1974年(今から47年前)には、年に一度しか留守宅に電話をしなかった。国際電話の使用料が高かったからである。当時は、1分で1,000円程度の費用がかかったと思う。3分で3,000円になるので、現在の貨幣価値に換算したら、その高さが分かる。そこで苦肉の策になるが、録音テープに1時間程度私の近況を吹き込んでおき、あらかじめ航空便で送付しておいた。生の声は3分で、と考えたからである。
留守家族の大勢が入れ替わり電話口にでるので、こちらは時間と値段とが気になりハラハラである。今や国際電話が死語同然になり、通信の値段が低価になった現代からすれば、遠い昔の話に聞こえるが、そんな時代もあったのである。ニューヨークからの一本の電話は、人の縁、過去の思い出、現在の政治・経済の動き、人々の志、これからの技術・価値観の変化など、さまざまなことを考えさせるきっかけになった。近所の川沿いの桜も満開である。これから散歩に出かけることにしよう。
(金安岩男 慶應義塾大学名誉教授)
