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生まれも育ちも両国という池田雅雄は、相撲博物館員として、そして雑誌『相撲』の編集長として、長く日本の相撲史研究にたずさわってきた。彼は著書の中で、テレビの解説者になった新年寄の某親方が池田の所にやってきた時の興味深いエピソードを紹介している(池田雅雄『大相撲ものしり帖』より)。
「幕内土俵入りのとき、化粧廻しのはじをちょっと上げたり、両手で万歳するのは、どういう意味かね」
「十数年もやっていて知らなかったの」
「いや、じつは視聴者から問い合わせがあって」
新人親方は頭をかいて仲間も知らないという。
池田の解説によれば次の通りである。相撲錦絵に描かれているように、元来は土俵上で足を上げて四股を踏み、手を横に広く広げる動作だったが、土俵に上がる力士数が増えたために土俵が過密になった。そこで、動作の簡略化をはかる表現になったという。化粧廻しのはじをちょっと上げるのは、四股を踏むことの簡略化。そして、両手で万歳することにより、手を横に大きく伸ばす動作を簡略化したのである。横綱の土俵入りをみれば、手の広げ方、四股、せり上がりなどから、元来の所作を想像することができるだろう。些細な事柄の意味を探ることは、それなりの意義がありそうである。
相撲は、『日本書紀』に書かれている当麻蹴速(たいまのけはや)と野見宿禰(のみのすくね)の力比べという神話の世界、宮中における七月七日の祭事相撲(相撲節会)、武家の時代の武芸としての相撲、社寺の勧進相撲、娯楽としての相撲、そして近代社会におけるスポーツ興行としての相撲など、その後の歴史的変遷も長くかつ多彩である。その故実については多数の書物が刊行されているが、その真偽は図りかねる所もある。
相撲は神事であるとよく言われる。本場所の前日には、神迎えの儀式があり、千秋楽には神送りの儀式がある。土俵の中央部には神への鎮め物である榧の実、勝栗、昆布、スルメ、洗米、清めの塩の六品が御饌(みけ)として埋められており、聖なる空間での戦いとなる。四股もよい例であり、土を踏み固め、霊魂を鎮め追い払うための行為は、相撲を考える上で一番重要な事柄かもしれない。平安朝の宮廷での初秋の行事に「相撲節会」(すまいせちえ)があり、年の豊凶を占う神事であった。節会には、諸国から「相撲人」(すまいびと)が召し出された。その名称は、儀礼的な子供の「占手(うらて)」から始まり、「垂髪(すいはつ、すべらかし)」、「総角(そうかく、あげまき)」、そして最強の「最手(ほて)」からなる。なお、「垂髪」と「総角」は、髪型にもとづいて、体力と技能の程度を表現したものかもしれない。
相撲は俳句の季語では秋であり、<むかし聞け秩父殿さへ相撲とり>なる芭蕉の句がある。弓取は、悪霊を振り払うことにつながる。私自身は、方位に関するテーマに関心を持っている。東西南北それぞれに、四つの神、つまり東の青龍、西の白虎、南の朱雀、北の玄武が対応している。これらは房の色で示されており、今日では、東(青房)、西(白房)、南(赤房)、北(黒房)などで表現されている。実は、北京、ソウル、平安京、江戸の各都市は、皆四神相応の原理で作られ今日に至っている。技術の進んだ今日でも、建設現場で地鎮祭が催されるが、相撲の際の地鎮と同じ意味合いである。土俵のつくりも、都市のつくりも四神相応という方位観・宗教観からつくられていることに、職業柄からか関心が向く。
テレビ中継では、力士の出身地が必ず紹介される。力士は全国各地から集まっているので、各地の応援や声援が励みになる。土地や地域性を感じる時である。
<わが里の名乗りゆかしき角力かな 一瓢>
江戸時代には、各藩に御抱え力士がいた。例えば、有名な雷電為右衛門はその強さゆえに、張り手、鉄砲(うわづっぱり)、閂(かんぬき)の三手を禁じられたお相撲さんで、信州出身であるが松江藩のお抱え力士であった。雲州松江藩主の松平不昧(ふまい)がご贔屓だったという。今や、モンゴル出身の力士が増え、「モンゴル・ウランバートル出身、〇〇部屋・・・」などと紹介されている。モンゴルでは、衛星放送で毎日テレビ中継されているので、お国の人々もモンゴルから声援する時代となった。
最後に、大学の弱体相撲部の物語を映画化し評判だった『シコふんじゃった』(1992年公開、監督周防正行、主演本木雅弘)をご紹介しておこう。映画の題名に相撲のエッセンスである「四股」を取り込んだ映画監督の慧眼は素晴らしいと思う。相撲そのものは土俵上での勝負であるが、相撲にまつわるもろもろの文化は興味が尽きない。同様に、仕事やさまざまな活動はその行為そのものが重要であるのは勿論のことであるが、仕事や活動にまつわるもろもろの事柄は興味深く、私たちの生き方の足腰を強くしてくれる。
(金安岩男 慶應義塾大学名誉教授)
