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「江の島はゆうべ話して今日の旅」と江戸川柳にある通り、現代でも首都圏を代表する身近な観光地である。また東京の小学生たちにとっては遠足の訪問地であった。江の島は観光資源が豊富であり、観光ガイドブックも多数刊行されている。今回は江の島の自然、とくに島の成り立ちなどについてご紹介してみたい。江の島、江ノ島、江島などいろいろな書き方があるが、ここでは江の島の表記で進めていく。
その昔、江の島は文字通り「島」であった。島の周囲は約4km、そして標高が約60mである。島の主要部分は葉山層群と呼ばれる砂岩ならびに火山灰などが固まった岩石である凝灰岩からできている。また、富士山や箱根山の噴火によりできた関東ローム層も島の一部で見ることが出来る。昔は満潮時には孤立した島になり、干潮時には砂洲で陸続きとなるので、徒歩で渡ることが出来た。陸と島とが繋がってできているので、島のことを「陸繋島<トンボロ>」(りくけいとう)と呼び、砂洲のことを「陸繋砂洲」(りくけいさす)と呼んでいる。南からの海流が島で妨げられ、陸に当たり、沿岸流が砂を運び、次第に砂洲が伸びていく。その結果、陸地と島とが繋がったというわけである。
陸と島とは、初めは木橋が、そして1949年にはコンクリート製の弁天橋が出来てつながり、陸側から島に渡るのに便利になった。今では、歩行者用と自動車専用の道路とが分離されている。江の島は1964年の東京オリンピック大会のヨット競技会場になり、その機会に道路等が整備された。青銅の鳥居をくぐり、弁財天仲見世通りを昇っていくと、両側に土産店・飲食店・旅館などがあり、江島神社(辺津宮・中津宮・奥津宮)の建物をいくつか見ながら、植物園と展望灯台に到達する。エスカー(エスカレーター)を利用すれば、歩くのも楽である。
島の南西部を下っていくと、平たい岩が広がっているのが見えてくる。「稚児の渕」である。この平たい岩は、元々は海中にあった時に波に浸食されて平らになったものが、隆起により海面に出てきたものである。「海食台」と呼ぶ。江戸時代に描かれた「江嶋一望図」には、「まないた石」と記載されている。そして1923年の関東大震災の際には、約1メートル隆起した。この海食台は、風や波の浸食作用によって、「波食棚」にかわっていく。
島沿いの通路を崖(「海食崖」)に沿って歩いていくと、いくつかの洞窟(「海食洞窟」)がある。波の浸食が岩石の割れ目に沿って働くと岩石の破壊が進み、徐々に洞窟が形成されたのである。「お岩屋」と呼ばれる本宮であり、霊験あらたかなる祈念の場所である。洞内に入ると、そこには江の島を詠んだ与謝野晶子の歌碑がある。
沖つ風吹けばまたたく蝋の灯に志づく散るなり江の島の洞 与謝野晶子
島内にはいくつかの石碑があるが、その内の一つに芭蕉の句碑「芭蕉塚」がある。刻まれた文字は石が風化していて読みにくい。読みにくいはずで、句碑が設置されたのは、寛政九年(1797)のことだから225年も前のことだ。パンフレットによると次の通りである。
うたがふな塩の花も浦の春 芭蕉
海や空の青さを背景に、岩に当たる波の白いしぶきが、あたかも塩の花のようであり、良い春を迎えることだろうの意。この場所にふさわしい俳句であり、ここに句碑が設置されているから、芭蕉がここに立ったのだと思いがちだが、そうではない。この俳句は伊勢市の二見町で読まれたものである。「浦の春」の浦は、夫婦岩と注連縄で有名な二見が浦のことである。伊勢神宮の垢離場として、ここで身体を清めてから伊勢神宮に参拝する。芭蕉の俳句が二見浦だったとしても、この江の島でも通じる内容なので、句碑が建つのにふさわしい。
その他にも、酒井抱一の「八方睨みの亀」(模写)の扁額、大森貝塚発見者のエドワード・モースの臨界実験施設跡、岩本楼、弁財天、ヨットハーバーなどのマリーンスポーツ等々、見所は挙げきれないほど沢山ある。コロナ禍で減少していた観光客も徐々に回復しつつある。夏の最盛期を避けて、季節外れや平日などに、各人の興味や関心に合わせて見物すると良いと思う。
(金安岩男 慶應義塾大学名誉教授)
