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(2014/08/01)
最近、福澤諭吉の『福翁自伝』を読み直す機会があった。福澤は、66歳の人生のうち半分が江戸時代、そして半分が明治時代に生きたので、「一身に二生を得た」と自ら表現している。その内容は人生訓に満ち溢れており、自伝の傑作の一つと評されている。現代語訳もあり、若い人たちにもお勧めの一冊である。今回は自伝の中から、表題に関わる「たかりの精神」についてご紹介する。
福澤諭吉は大分県中津の人と思われているが、実は大坂堂島の中津藩蔵屋敷の生まれであることは、2013年11月の本欄ですでに述べた。数えで三歳の時に父親が亡くなり、中津に転居し、幼少年期をそこで過ごした。家族は皆大阪弁だったこともあり、中津になかなかなじめず、早くから飛び出したいと考え、その機会をうかがっていた。実兄の勧めもあり、長崎で蘭学を、そして大坂にて、緒方洪庵が主宰する適塾に学んだ。貧乏書生の集まりの真っただ中で勉学に勤しんだが、後にはそこで指導者の役割も担った。
入門したその日の出来事である。ある書生が、福澤にどこから来たかと尋ね、一献傾けようということになった。福澤は酒好きだったこともあり、願ってもないことだった。ところが、そのくだんの一書生は、福澤が一文無しの貧乏書生であることを知ると、途端に酒を飲む話は打ち切りになった。何のことはない、新入りの福澤に酒をたかろうとの魂胆だったのだ。数か月後に、福澤は彼を次のように言って懲らしめた。
「・・・新入生に遇って仮初にも左様な事を云うと、おれは他人の事とは思はぬぞ。すぐにお前を捕まえて、誰とも言わず緒方洪庵先生の前に連れて行って、先生に裁判してもらうがよろしいか。心得ていろ」(注、読み易くするために少し表現を変更した)
この逸話と関連する似た話を思い出した。ある組織のしかるべき地位にあるX氏が、別の組織体のある職への適任者の推薦を依頼された。多くの人から有力な適任者と思われた人物がいたが、X氏はその人物を選ばずに、別の人を推薦した。私がこの件でX氏に聞いてみた所、X氏の口からは意表をつく言葉が返ってきた。
「あいつは後輩にたかるから駄目だ。だから推薦できない」
X氏はきっと、当該人物が後輩にたかる事実を周囲の人たちから聞いていたのだろう。その判断理由は、実にはっきりしたものだった。就職の推薦理由として、その人の実力や適性に加えて、品性が入っていたのである。たかりの精神は品性のものさしになるし、誰かがみているものだ。
あなたの職場で、先輩風を吹かし、たかりの精神にどっぷりつかっている人物がいたら、福澤の啖呵を聞かせてやるとよい。
(金安岩男 慶應義塾大学名誉教授)
