- ホーム
- Men’s Life Style


2022/04/29
2022/04/04
2022/02/26
2022/01/28
2021/12/27
2021/11/29
2021/11/05
2021/09/28
2021/09/03
2021/07/29
2021/06/29
2021/05/31
2021/04/29
2021/04/02
2021/02/26
2021/01/29
2020/12/26
2020/11/30
2020/10/30
2020/09/29
2020/08/31
2020/07/31
2020/06/30
2020/05/29
2020/05/01
2020/03/30
2020/02/28
2020/02/03
2020/01/02
2019/11/28
2019/10/29
2019/09/28
2019/09/02
2019/07/30
2019/07/02
2019/05/29
2019/04/27
2019/03/30
2019/02/27
2019/01/30
2018/12/28
2018/11/28
2018/11/02
2018/10/01
2018/08/30
2018/07/30
2018/06/29
2018/05/31
2018/04/30
2018/03/31
2018/02/27
2018/02/01
2017/12/27
2017/11/30
2017/11/01
2017/09/29
2017/08/31
2017/07/31
2017/06/30
2017/06/08
2017/05/29
2017/04/28
2017/03/29
2017/02/27
2017/01/31
2016/12/28
2016/11/29
2016/10/28
2016/09/28
2016/09/02
2016/07/30
2016/06/29
2016/06/02
2016/04/27
2016/03/30
2016/02/26
2016/01/30
2015/12/29
2015/11/30
2015/10/29
2015/09/30
2015/08/31
2015/07/30
2015/07/04
2015/05/30
2015/05/01
2015/03/31
2015/02/27
2015/02/04
2014/12/28
2014/12/01
2014/10/30
2014/10/01
2014/08/29
2014/08/01
2014/07/01
2014/06/01
2014/05/01
2014/04/01
2014/03/01
2014/02/01
2014/01/01
2013/12/01
2013/11/01
2013/10/01
2013/09/01
2013/08/01
2013/07/01
2013/06/03
2013/05/01
2013/04/01
2013/03/01
2013/02/04
2013/01/01
2012/12/03
2012/11/01
2012/10/03
2012/09/04
2012/08/03
2012/06/28
2012/05/11
(2013/11/01)
私は東京で生まれ育ったので、西日本にはあまり土地勘がない。そこで、ここ数年のことであるが、西日本で用事がある際には、意識的に寄り道をして各地を見て歩くことにしている。ある時、大阪に行く機会があった。仕事の後でぜひ立ち寄りたかったのは、私が所属した慶應義塾の創立者である福澤諭吉が誕生した場所と学んだ場所である。
福澤諭吉(1835-1901)は、日本の啓蒙家・教育家として有名であり、幕末から明治にかけて活躍した。江戸と明治の二つの時代に生き、まさに一生で二つの人生を経験した。『学問のすすめ』や『福翁自伝』などの著作はベストセラーになっている。現代でも多数の読者がいるが、若い人には現代語訳の方が読み易いかも知れない。父親の出身地である中津藩の蔵屋敷が大阪中之島にあったので、福澤諭吉はこの蔵屋敷で生まれ、そこに住み、その後中津に暮らした。現在は、中之島の小さな空間に石柱の記念碑がいくつか建っている。福澤諭吉誕生地・中津藩蔵屋敷之跡の記念碑には、次のように記されている。
天ハ人ノ上ニ人ヲ造ラズ 人ノ下ニ人ヲ造ラズ (A)
日本人なら誰でも知っている有名な言葉であるが、この言葉は福澤の『学問のすすめ』の冒頭のセリフから採られている。『学問のすすめ』を紐解くと、次の文章になっている。
天ハ人ノ上ニ人ヲ造ラズ 人ノ下ニ人ヲ造ラズ トイヘリ (B)
(A)と(B)の相違点は、(B)には、「トイヘリ」(と言えり)の四文字があることである。福澤は(A)の言葉が自作ではなく、他の人が言っている、つまり誰かの言葉を引用していると明記している。福澤は正直な人のようだ。したがって、福澤以外の人たちが、あたかも福澤の言葉として間違って使ってきたということになる。この記念碑も例外ではない。引用の引用は間違いの元になりやすいので、原典に当たることは大切だ。
一方、福澤が学んだ場所は、医者の緒方洪庵が先生だった「適塾」である。第二次世界大戦で空襲に遭った大阪ではあったが、適塾は奇跡的に焼けずに江戸時代そのままに残っている。現在は大阪大学の管理のもとに一般公開されている。適塾に学んだ塾生の名前を見ているだけでも、日本の近代化に貢献した人の名前を多数見出せる。若き俊秀がここで学んでいたのだと感じるだけでも訪問する価値がある。しかも、当時の町家や商家の感じも体験できる。
原典に当たり、現物を見ることの大切さは、ビジネスの世界における現場主義、現物主義、などに通じる。「○○○」と顧客が言っている、営業が言っている、社長が言っているなど、言っていることのどれが正しいことなのかはなかなか分かりにくいものである。本当にそうなのかどうかを確認するために、二重三重のチェックが欠かせない。福澤諭吉ゆかりの地訪問は、寄り道のすすめ、現場の重要性など、いろいろなことを教えてくれた。
(金安岩男 慶應義塾大学名誉教授)
